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図書館で借りた、アンソニー・ドーアの『シェル・コレクター』を、
この数日のあいだ、少しずつ読んでいた。
読むのがおそくて、途中までしか読み終えていないけれど、
もう返却してしまおうとおもう。
そして、本屋にいって、じぶんの『シェル・コレクター』を手に入れる。
いつでも手をのばせるところに置いて、くり返し読みたい、とおもった。

本のタイトルにもなっている短篇「シェル・コレクター」は、
主人公が盲目の貝博士のおじいさんという設定。
彼は子供のときにだんだん光を失っていくのだけど、
彼の通っていた医者が、もうまもなく暗闇の世界で生きることになるという最後のタイミングで、決然と少年を海に連れて行く。
そして、「これを覚えておきなさい」と、その手に貝をにぎらせる――というところから、主人公の第二の人生が始まる。
この、彼の光が消えていくさなかの海の場面が印象的で、
ぼくもこれから貝を手に取る機会があったら、
目を閉じてその肌触りを味わおうとおもった。影響を受けやすい。


「もつれた糸」という短篇を、今朝の通勤の電車のなかで読み終えた。
釣り人が主人公のはなし。
彼は不倫をしている。じぶんの感情をどこに落ち着かせればいいのか、彼にはわからない。
その男が、川に行き、釣りをするポイントを探す場面で、こんな記述がある。

「彼がいないあいだも川が流れつづけていたと思うと、胸が痛む。」

この一文で(今朝は)こころを打たれてしまった。
愛情というものを、うまく説明しているとおもった。
その愛の対象が、じぶんの知らないところでも時間を過ごしているということが耐えられない、ということなのか。
そうか……。







『シェル・コレクター』について、いいたいことはほかにもあるのだけど、
再読してからまた改めて書きたい。

一読した時点で、もっとも強烈な印象を残したのは、
「世話係」という短篇。
あまりにも深く損なわれてしまった人間は、どのように自らを治癒しようとするのか。
浜に打ち上げられた鯨を解体して、心臓を掘り出すというイメージが鮮烈すぎる。
春樹の「アイロンのある風景」以来、強烈にタマシイに食らいついてくる小説だった。