浅草「もがみや」


正月休みは、スカイツリーと浅草を回遊して過ごした。






どちらも、「ザ・お正月」というスポットだけれど、
じぶんの家からほど近くて散歩がてら出掛けられるからという以上の積極的な理由はなく、
言い換えれば、自宅近くをうろうろして、まったり過ごした正月だった。

スカイツリーに行くにしても、身動きのとれない正面を避けた。
ソラマチ裏口を入ってすぐの、
いつも可哀想なくらい閑散としている寿司屋で
(それでも先日は15分くらい待った)海鮮丼を食べて、そのまま退散。
浅草寺でも同じで、
初詣の人の列をさけて境内には足を踏み入れず、
ひとけがない観音裏エリアの「むつみ」という釜飯屋で一杯のんで、そのまま退散。






べつに天の邪鬼という感覚はなくて、十二分に満足して帰路につく。
それどころか出掛けに玄関をあけて外に出て、
透き通る淡い水色の空を見上げた瞬間に、
「よかった、きょうはいい一日だ」と早々にひとりごちる。
満足の沸点が低いのかもしれない。



そんなささやかな正月休みを締めくくったのが、
きのうの友だち夫婦との新年会で、会場は浅草の「もがみや」という居酒屋にした。

魚と日本酒を主体になんでもある店で、どれを食べてもおいしい。
「どれを食べても」といいつつ、メニューを制覇するには品数が多すぎるのと、
タコ刺しみたいな定番を毎回つい注文してしまうこともあって、
たぶんまだ三分の一も食べられていない。それでも、
先日のメニューをお通しの数の子から締めの担々麺まで、
脳内で完璧にリプレイできるほどに、一品一品の存在感が際立っていて、
そういう意味で外れがない店だ。

揚げ出しとか、がんもとか、あたりまえのものを注文しても、
必ず予想を上回るふわふわ、カリカリ、とろとろで、咀嚼と同時に歓声がとまらない。




さっきはサラリと書いたけれど、
締めが担々麺ってじぶんでも意外な選択だった。
ふだんならわざわざ居酒屋で中途半端な麺を食べたくない。
でも、澄んだ湯のなかで行儀よく身をたたむ麺と、
小鉢にとりわけられた鼻をくすぐる白濁したつけ汁は、
それ自体看板メニューになってもおかしくない完成度で、おすすめ(こういうのにかぎって、写真をとり忘れてしまう)。
最後まで心地いい裏切りにあって、店をあとにした。



例によって飲んだ席での会話はほとんど覚えてないのだけど、
友だち夫婦がマンションの隣の施設の室外機音に悩まされ、
再三の苦情でやっと対応してもらったという武勇伝をきいて、
こちらは言問橋ちかくの和菓子屋で買った金つばが、
隅田川沿いのベンチでさっそくつまもうと袋を開けたらカチカチに凍っていて、
その足で返品しにいったという話をした。

むこうの夫婦では夫が、こちらの夫婦では妻がそれぞれクレーム担当。
トラブルに対して「ま、いいか」と流れてしまう人同士がペアになっても問題で、
攻守、軽重、飴と鞭、なんというかわからないけど、
夫婦ってうまく役回りができているもんだね、という話。
ちなみに金つば事件のときには、妻が和菓子屋へと向かっているあいだ、
ぼくはそのままベンチに残って、買ったばかりの文庫本を読んで待っていた。
これはぼくの人としての欠陥なのかもしれないけれど、どうにも怒りにうまく乗れないのだ。
「あのあんこ野郎……」とか思いながらコブシを握りしめるじぶんも想像できない。

手元のページに描かれる父親の言葉のように真っ当な池澤夏樹の文章も、
オレンジ色の夕日を反射する川面のきらめきも、
さっそく溜飲を下げてちいさくガッツポーズしながら戻ってくる遠くの妻の姿も、
「よかった、今日もいい一日だ」とぼくに感じさせる。