「人間は、銀河と原子の中間に存在している」というコトバにポエジー感じる。
すべての事象にあてはめられる理論は、まだ発見されていないらしい。
宇宙みたいな、
ものすっごく大きい世界のことを考えるときには
相対性理論というのを当てはめると、いろいろ説明がつくことが多くて
原子みたいな、
ものすっごく小さい世界のことを考えるときは
量子力学というのをツールにすると、わかりよくなる。
だけど、
相対性理論と量子力学には互換性はなくって、
どっちかが正しいとすると、どっちかが間違ってるようなことになる。
あくまで便宜的な、仮の見方でもって
ぼくらは宇宙や原子のことを考えている。
いつか将来、万物理論がみつかった時代で生きる人たちの目には
世界はちがって見えるのかもしれない、
と想像するのが楽しい。
「ありうべき、ちがう理法の世界」
への憧憬は、
アフォーダンスを説く、佐々木正人のコトバを読んでいても感じることで
彼が
「物にふれるというのは、世界と力の交換をすることだ」
と言うときに、
グラッとじぶんの認識がゆがむ快感がある。
よくよく考えると、
それは谷川俊太郎のコトバを読んでるときにも、感じる。
「まったく違う、世界の見方があるんじゃないだろうか」
そのピュアな感覚を、詩と科学は共有しているかもしれない。
すべての事象にあてはめられる理論は、まだ発見されていないらしい。
宇宙みたいな、
ものすっごく大きい世界のことを考えるときには
相対性理論というのを当てはめると、いろいろ説明がつくことが多くて
原子みたいな、
ものすっごく小さい世界のことを考えるときは
量子力学というのをツールにすると、わかりよくなる。
だけど、
相対性理論と量子力学には互換性はなくって、
どっちかが正しいとすると、どっちかが間違ってるようなことになる。
あくまで便宜的な、仮の見方でもって
ぼくらは宇宙や原子のことを考えている。
いつか将来、万物理論がみつかった時代で生きる人たちの目には
世界はちがって見えるのかもしれない、
と想像するのが楽しい。
「ありうべき、ちがう理法の世界」
への憧憬は、
アフォーダンスを説く、佐々木正人のコトバを読んでいても感じることで
彼が
「物にふれるというのは、世界と力の交換をすることだ」
と言うときに、
グラッとじぶんの認識がゆがむ快感がある。
よくよく考えると、
それは谷川俊太郎のコトバを読んでるときにも、感じる。
「まったく違う、世界の見方があるんじゃないだろうか」
そのピュアな感覚を、詩と科学は共有しているかもしれない。
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