田舎の語り口。
コーエン兄弟の映画を、映画館にみいにくのはひさしぶりで
たぶんボウリングと誘拐の映画以来。

毎作、水準がたかくて、
観れば観たでもちろん面白いんだけど
それにしても毎回、はなしに誘拐をからめるものだから
そのパターンに食傷して、しばらく間があいていた。


コーエン兄弟は、
風景になにかを語らせることができる
数少ない人たちで、
ぼくのなかでは、セルジオ・レオーネの資質を
おだやかに引き継いでいるような気がしている。なんとなく。

『ノーカントリー』では、ニューメキシコとテキサスの荒野に
トミー・リー・ジョーンズの乾いた風貌がピタッとはまっていて、
組み合わせの妙があった。
ジョーンズの肌は象のように干からびていて
だからこそ、瞳のしめった光が映える。
エディ・マーフィーの歯が白く見えるのと似ている。
そして語り口調がいい。
田舎の、スローな語りで、
ウソも余興もなく実直で
疲弊しているけれど絶望はしていない、そのギリギリの感覚。

前言をすぐさま翻すようだけど
風景が語るためには、
同時に、風景がかたくなに沈黙していることが大切で
「だまっているけど、ひしひしとそこに在る」
という感覚を醸成させるために
コーエン兄弟は、音楽をぐっと抑えて
風になぶられる大地をていねいに撮す。
撮影監督ロジャー・ディーキンスのインタビューがどこかで読めるなら
ぜひみてみたい。

と、ここまで書いてきて、
主役ともいえるハビエル・バルデムのことにまったく触れてないことに気付いたのだけど、
彼はキャラクターというより、風景に近くて、
「だまっているけど、ひしひしとそこに在る」という存在そのものなのだとおもった。


ところで『ノーカントリー』は、非・誘拐映画だった。
こんどは誘拐ものでも、観に行きます。