戦争から帰ってきた青年たちの
「その後」を描いているはずなのに
思い返せば、
激烈な戦闘シーンばかりが印象にのこるのは
幾つものフラッシュバックの効果のためなのだけど
『父親たちの星条旗』でのフラッシュバックは
ほとんど映画全体を覆い尽くさんばかり。

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これって、かなり歪つな構造なんだとおもう。
でもそのことで
くり返し、くり返し、彼らの現在に押し寄せる戦争体験が、
けっして忘れられない、しかし誰にも語ることのできない悪夢として
ぼくにも体験できる。


戦争という大状況をつくり、
混沌そのものを撮り、語るというのは
映画監督の最大の冒険なのだとおもう。
力量が追いつかないと、
無惨に馬脚があらわれる形になってしまう。
ジョン・ウーは失敗した。
コッポラは完全燃焼して灰になった。
イーストウッドは動じなかった。
スピルバーグは嬉々として撮った。
リドリー・スコットはコスチュームへと逃げた。
タランティーノは戦争映画の脚本をあたためながら
その映画化を回避しつづける。