きょうび、映画館は、全席指定のシステムになっているところが多い。
どの席を選ぶか決めるときには、
見やすい後方の席とか、通路側の席から勧められたりと、いろいろと劇場の人が便宜を図ってくれるので
だから、たいてい、さして混んでいない回なら
一人で観に行って、両サイドに他の人が座ることもない。
ちょっとしたホームシアター感覚で、ゆったり鑑賞するのが常だ。
でもどういうわけか昨日は、
「まん中の列のまん中の席」というリクエストを頑迷に通した男が二人いて
それはつまり、手ぶらで職場を抜け出してきたぼくと、
会社帰りのちょっと赤ら顔のおじさんで
まわりがガラガラに空いているのに
見知らぬ二人が「まん中の列のまん中の席」に並んで座ることになった。
一個くらい席をずれればいいものを、ふたりとも動じず、
ぼくは文庫をひらいて漫然とながめ、
となりのおじさんは夕刊をうんうんと頷きつつ読んで、
映画が始まるのを待った。
やがて、暗闇がおとずれ、
ふたりで肩を寄せ合って、『ミリオンダラー・ベイビー』を観た。
ぼくとおじさんは、ショッキングなシーンで同時に息を飲む。
おじさんの呼吸音が大きいので、おなじシーンだとわかるのだ。
そして、おなじ場面でわらう。
漏れ出たふたりの笑いが、下品なハーモニーをつくるのを聞いた。
そして、おなじ場面で泣く。
べつに、となりのおじさんがハンカチで目元をぬぐうのを見たわけではないし、
それをいうなら、ぼくの眼からも何もこぼれてこなかった。
でも、われわれの魂は、涙を流し続けていた。
となりに座っていれば、それくらいのことはわかる。
●
『ミリオンダラー・ベイビー』での「死」の取り扱いに関して
異論のある人はいるだろうとおもう。
反論は、しない。
「たかが映画じゃないか」とも、言わない。
それをいうなら、むしろ、
「たかが神話じゃないか」と言うべきだとおもう。
この映画は、現代に、またひとつ産み落とされた新しい神話で
イーストウッドはこの新作でも、自ら神を見放し、そのことで永遠に神に見放された宿命を、背負う。
黒沢清がいっていたけれど、いつものパターンなんだけど、毎回新しい。
●
雑誌で読んだ映画評のなかでは、
『invitation』の北小路隆志さんのものが出色だった。
劇中での、教会前の会話に出てきた三位一体を、
神=フランキー イエス=マギー 精霊=スクラップ
と見立て、精霊の働きかけによって物事が生成することを
3人の行動原理にピタリと当てはめてみせて、小気味いい解釈。
父は子を殺し、どこかへと去る。
精霊の声だけがわれわれのもとに残る。
コメント
コメント一覧 (8)
こーゆー見方の出来たある日の出来事、まるで物語の場面デスね。
いや〜〜こりゃいいわ、と褒めちぎってしまおう。
良かったですね、こんな機会滅多にないデスよ。
映画の中身のあのシーンできっと、このシーンできっと、そんな
事を想像させて貰いました。
オジさんとおニイさん!?エエですね〜。拍手ッ!
ツボヤキさんも仰っているように、自分もとても印象的な、すてきな記事だと思いました。最後の2行で、ノックアウトされました。
ツボヤキさん
ふだんじぶんは、あまりトラバ機能は活用してないんですが(ものぐさなもので……)、
ツボヤキさんの頁のあまりの情報の充実ぶりと、テキストのテンションにぶったまげて、思わずトラバっちゃいました。
また遊びにいきますっ。
あかん隊さん
はじめまして。
えーと、ぼくもできることなら、
偶然となりに座ったすてきな女の子と魂の共有をしたかったのですが、
新橋あたりで一杯ひっかけてきたらしきオジサンの隣りなってしまい……。
まあ、でも、映画館に行くのは、こういうトラブル(?)ふくめて楽しいです。
お邪魔をいたします、
同じもの、例えば一つの「映画」に向き合った人たちとその
余韻を部分的にも共有したことを感じ取れることってありま
すよね、
また、その映画がまだ見ぬ人にも、さまざまなレヴェルの吸引
なり興奮なり反発なりを催させる映画…というものがあるよう
に思うことがあります。
拙ブログでは、5月の終りから『ミリオンダラー・ベイビー』
絡みの幾つかのエントリーをしたのですが、少々つまらぬこと
が発生、
実はお仲間に誘われ今回の“盛り上げ企画”を始めた時点で
予測していたことでした。
………(中略((^^;)………
今回のTBありがとうございました!
本作でのTBの行き来が叶い嬉しいです、
今後ともお気軽に遊びにいらしてください。
僕は今週中に2度目の鑑賞をしたく思っています、
まずは自分の内に収めておきたい映画なのです。
ネットのなかからも
『ミリオンダラー・ベイビー』を盛り上げていけるといいですよね。
この映画を必要としている人たちのもとに、ちゃんと映画がとどくためには、
マスメディアの紋切り型な賛辞よりも
もっと個人的でひそやかな声の方が有効だとおもうので、
ダーリン/Oh-Wellさんのように、個人の声をむすぶ
リンクの結節点のような役割を果たしてくださる方がいると、
とてもいいなとおもいます。応援してます。
「海を飛ぶ夢」をオーバーラップさせられたけど、
ケン・ローチの一連の作品も思い出されてしまったです。
>父は子を殺し、どこかへと去る。
精霊の声だけがわれわれのもとに残る。
あかん隊さんも書いていらっしゃるけど、
わたしもこのフレーズにノックアウト。
ちなみに空いているシネコンで映画を見るときに、
いぜんは「通路側を」と言っていたのだけど、
さいきんは「両サイドが空いているところにしてください」
というずーずーしさが身につきました。あはっ!
隣の席のおじさんの話は意味があったと、
後になって気ずく私。
席をとるとき、
「美人のとなりにしてください」
とかリクエストができたらいいんですけど、個人的には。
>隣の席のおじさんの話は意味があったと、
そうそう、
隣のおじさんを「精霊」、
ぼくを「イエス」
スクリーンを「父」
に見立てるときに、『ミリオンダラー〜』の
物語構造とのリンクが浮かび上がる仕掛けになってます
って、そんなことあるわけなくて……。
いや、とくに意味はない話だったんでけどね。
でも、いいふうに解釈しておいてもらえるとうれしいです。