23be63ae.jpgこのまえ実家にかえったとき、
メグ・ライアン主演のロマンティックコメディが大好きなぼくの母親が、観たばかりの『ニューヨークの恋人』のことを話そうとして、
最初に言ったのはエレベーターのことだった。


「19世紀から、公爵がタイムスリップしてきて、メグと恋に落ちるんだけど、
えーと、彼が現代にやってくると、エレベーターが止まるのよ」
「?」
「ていうのは、その公爵はじつは、エレベーターの発明者だったの」
「すごいじゃん。公爵で、且つ発明家なんだ」
「そうなの。だから現代に来ちゃうと、エレベーターが動かなくなっちゃうの」
「たいへんだ」
「それで、メグの元彼がエレベーターの事故で怪我しちゃったりして」
「やばいね」
「でもメグは無事なんだけどね」
「よかった。で、そのあと公爵は、止まってしまった世界中のエレベーターを復活させるために19世紀に戻るか、それともメグと一緒にエレベーターのない暗黒の未来を生きるか、選択に迫られるんだね。これはオトコならだれでも悩むよね。エレベーターといえば都市生活になくてらならいものだし。エレベーターをとるか、愛をとるか。究極の選択だね」
「じゃなくって、エレベーターは修理の人がきて、すぐに直るんだけど」
「公爵が現代にいるままでも?」
「そう、いるままでも。ちょっと故障しただけってかんじで」
「そのあとも問題はなく昇降しつづける?」
「問題なくショーコー」
「ということは、エレベーターはもしかして、ストーリーにあんまり関係ない?」
「うん、もしかしてそうかも」

そのあと母親は、ストーリーの解説をやめ、
メグ・ライアンの来ていた服がとても格好良かったことに話題をスライドさせた。
そしてよく考えてみたら、エレベーターと愛は、究極の選択じゃなかった。
ぼくは階段が好きだ。
公爵が、階段の発明者じゃなくてよかった。


ということで、エレベーターは関係ない。

ジェームズ・マンゴールドが、なんのためにエレベーターという小道具をさも意味ありげに使おうとしたのか、ぼくには結局わからなかった。

ストーリーに関係ないものは、ほかにもありそうに思えた。

メグの元彼、リーブ・シュレイバーは、いったいなんのために存在するのだろう。

彼は、クレジットとしては、
メグ・ライアンと公爵のヒュー・ジャックマンに次ぐ3番目に出てくる。
そして筋のうえでは、リープ・シュレイバーは最初に時間をこえて19世紀に行き、
現代にもどろうというとき、不本意ながら、追いかけてきた公爵ヒュー・ジャックマンを一緒に連れてくる(これが映画のプロローグだ)……という役を担っている。
つまり、タイムスリップという、この映画の設定の根幹を象徴する重要な役だ。

では、リープ・シュレイバーは科学者なのか?
ちがう。
彼は……、たんなる変わり者というくらいの設定になっている。
マンションで、メグの部屋の上の階にたまたま住んでいて、
たまたま、時間の裂け目を発見した男。
と、いうことは、
べつに19世紀のヒュー・ジャックマンがじぶんで時間の裂け目をたまたま発見して、現代にやってきてもよかったのではないだろうか。

では、リープ・シュレイバーは元彼として、メグとヒューとの恋に、あらたなトラブルを呼び込むのか?
これまたちがう。
彼はエレベーターの事故で怪我をすると、早々に舞台から撤退して、メグにもヒューにも絡まない。
そして物語の終盤、そろそろヒューが19世紀にもどんなくゃという上映時間の都合にあわせたタイミングで、病院から抜け出してひょっこり二人の前に現れる。
「そろそろ帰んなくちゃ」。
どうしても彼が言わねばならない台詞ってわけでもない。

リープ・シュレイバーはいったい、この物語でなんの役に立っているのだろう。

DVDの音声解説で、監督のマンゴールドはこういう。
「リープ・シュレイバーは、最高の役者で、僕の友だちで、ほんとうにいい奴なんだよ!」


そういえば近年のラブロマンス映画の代名詞『タイタニック』のときにも、
最初と最後に出てくる現代のパートで、
長々と画面に登場して我々をじらせたビル・パクストンについて、
監督のキャメロンは言ってなかっただろうか。
「彼は役者で、僕の友だちで、ほんとうにいい奴なんだ!」と。

最高の役者で、監督の友だちで、いい奴というのは、観客にとっては困った存在なのかもしれない。

おまけに『ニューヨークの恋人』のなかのリープ・シュレイバーときたら、

「犬は、虹を見ることはできないんだ。
というのは、犬の目には色が識別できないからね。
でも、もし犬が虹を見ることができたとしたら? 
人間にとっての時間も、犬の色と同じようなものだとおもうんだ。
僕は、虹を見た犬なんだ。」

という、この映画のなかで最もおいしい台詞をもっていってしまう。
やれやれ。