「銃声がおまえを解放する」
というコトバは、
競泳の飛び込みのタイミングがつかめないダコタ・ファニングに対して
ボディーガードのデンゼル・ワシントンがアドバイスするなかで出てくる。
このコトバが、映画全編にわたって変奏されていく。
素直にとらえれば
「銃声が解放する」というのは、生きる気力を失ったデンゼルの
自殺願望として、まずはあるだろう。
映画の前半、アルコールに溺れ、過去の幻影にさいなまれる彼は
衝動的にもっていた銃をこめかみに当てて、引き金を引く。
銃声が大音響で耳につんざく。
その銃声は、しかし幻だった。
実際には球は発射されず、観客が映画館のスピーカーから確かに聞いたその轟音は、
デンゼルのこころのなかで轟いたものだという「演出」。
でも、ここでいわば儀式的に(映画的に)死人になった彼は、
つづく物語の展開のなかで再三、銃によって致命傷を負いながらも、
もはや死ぬことのないゴーストという特権的な身体を獲得することになる。
(この映画のエンディングで、彼の眠りが延々と引き延ばされるのはそのためだ。)
●
皮肉なことに
ゴーストとなったデンゼルは
ダコタによって「生きる意味」を与えられる。
もう、彼には不要のものだ。いまさら生きようもない身体なのだから。
●
ゴーストを甦らせようとしたダコタは
作劇の神の懲罰であるかのように
死へと連れ去られる。
●
タンポポをプレゼントするなど、生者の国でのデンゼルとダコタとの
気恥ずかしいような「こころあたたまる」やりとりに比べ、
死者の世界での二人の結びつきは、より鮮やかなイメージで描かれる。
水のなか。明るいブルーの世界で
軽やかに身体をくねらせるダコタと
鈍重な身体を沈めていくデンゼル。
●
そしてデンゼルは、
死者の国から現れた復讐者として、メキシコを血の海に変えていく。
●
……という感じで
まるで監督トニー・スコットが
「イーストウッド映画をオレが撮るならこうやるね」
といわんばかりの内容。
でも、トニーの演出は、見ていてかなりつらい。
ダコタ誘拐の犯人たちを死の国に呼び込もうとするときの
デンゼル・ワシントンの英雄然とした表情ときたら、どうだろう。
たとえばクリント・イーストウッドがジーン・ハックマンをいままさに殺さんというとき、ふたりのあいだに一瞬流れる親密さを、
トニー・スコットはつかみそこなっている。
たぶんこの映画に価値があるとすれば、それは、
『マイ・ボディーガード』のなかでは活躍できなかった
クリストファー・『デッド・ゾーン』・ウォーケンが
いつの日か、本物のイーストウッドが紡ぐゴーストたちの物語の役者として
スクリーンに出ることを予感させたことだろう。
イーストウッドが『マイ・ボディーガード』を観れば
「クリストファー・ウォーケン、オレならこう撮るね」
と、意欲を燃やしてくれるかもしれないからだ。
競泳の飛び込みのタイミングがつかめないダコタ・ファニングに対して
ボディーガードのデンゼル・ワシントンがアドバイスするなかで出てくる。
このコトバが、映画全編にわたって変奏されていく。
素直にとらえれば
「銃声が解放する」というのは、生きる気力を失ったデンゼルの
自殺願望として、まずはあるだろう。
映画の前半、アルコールに溺れ、過去の幻影にさいなまれる彼は
衝動的にもっていた銃をこめかみに当てて、引き金を引く。
銃声が大音響で耳につんざく。
その銃声は、しかし幻だった。
実際には球は発射されず、観客が映画館のスピーカーから確かに聞いたその轟音は、
デンゼルのこころのなかで轟いたものだという「演出」。
でも、ここでいわば儀式的に(映画的に)死人になった彼は、
つづく物語の展開のなかで再三、銃によって致命傷を負いながらも、
もはや死ぬことのないゴーストという特権的な身体を獲得することになる。
(この映画のエンディングで、彼の眠りが延々と引き延ばされるのはそのためだ。)
●
皮肉なことに
ゴーストとなったデンゼルは
ダコタによって「生きる意味」を与えられる。
もう、彼には不要のものだ。いまさら生きようもない身体なのだから。
●
ゴーストを甦らせようとしたダコタは
作劇の神の懲罰であるかのように
死へと連れ去られる。
●
タンポポをプレゼントするなど、生者の国でのデンゼルとダコタとの
気恥ずかしいような「こころあたたまる」やりとりに比べ、
死者の世界での二人の結びつきは、より鮮やかなイメージで描かれる。
水のなか。明るいブルーの世界で
軽やかに身体をくねらせるダコタと
鈍重な身体を沈めていくデンゼル。
●
そしてデンゼルは、
死者の国から現れた復讐者として、メキシコを血の海に変えていく。
●
……という感じで
まるで監督トニー・スコットが
「イーストウッド映画をオレが撮るならこうやるね」
といわんばかりの内容。
でも、トニーの演出は、見ていてかなりつらい。
ダコタ誘拐の犯人たちを死の国に呼び込もうとするときの
デンゼル・ワシントンの英雄然とした表情ときたら、どうだろう。
たとえばクリント・イーストウッドがジーン・ハックマンをいままさに殺さんというとき、ふたりのあいだに一瞬流れる親密さを、
トニー・スコットはつかみそこなっている。
たぶんこの映画に価値があるとすれば、それは、
『マイ・ボディーガード』のなかでは活躍できなかった
クリストファー・『デッド・ゾーン』・ウォーケンが
いつの日か、本物のイーストウッドが紡ぐゴーストたちの物語の役者として
スクリーンに出ることを予感させたことだろう。
イーストウッドが『マイ・ボディーガード』を観れば
「クリストファー・ウォーケン、オレならこう撮るね」
と、意欲を燃やしてくれるかもしれないからだ。
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